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札幌地方裁判所 昭和53年(ワ)5047号 判決 1983年6月24日

原告

岡田雅彦

被告

中澤学二

ほか五名

主文

被告中澤学二、同丸工新栄木材産業株式会社は、各自原告に対し、金六二八四万七〇八〇円と内金五九八四万七〇八〇円に対する昭和五〇年七月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被告坂口秀子は原告に対し、金一二八八万七四五二円と内金一一八八万七四五二円に対する昭和五〇年七月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、被告坂口達也、同坂口眞理子、同坂口由利子はいずれも原告に対し、それぞれ金八五九万一六三四円と内金七九二万四九六七円に対する昭和五〇年七月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。

この判決は、原告勝訴部分のうち金二〇〇〇万円の限度で仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告中澤学二(以下被告中澤という)、同丸工新栄木材産業株式会社(以下被告会社という)は原告に対し、各自、金一億一九二九万七二五六円と内金一億一六二九万七二五六円に対する昭和五〇年九月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告に対し、被告坂口秀子(以下秀子という)は、金三九七六万五七五二円と内金三八七六万五七五二円に対する昭和五〇年七月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、被告坂口達也(以下被告達也という)、同坂口眞理子(以下被告眞理子という)、同由利子(以下被告由利子という)は、それぞれ金二六五一万〇五〇一円と内金二五八四万三八三五円に対する昭和五〇年七月一九日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (本件事故の発生)

原告は、昭和五〇年七月一九日午後三時三〇分ころ、訴外亡坂口昭治(以下訴外昭治という)の運転する普通乗用自動車(札五五と二八〇九、以下乙車という)に同乗中、北海道夕張郡長沼町東二線北二番地の交通整理の行われていない交差点において、右乙車と被告中澤が運転する普通貨物自動車(札四四た七〇五二、以下甲車という)が出合頭に衝突した交通事故によつて負傷した(以下本件事故という)。

2  (責任)

(一) 被告中澤は、甲車を運転し、交通整理の行われていない前記交差点を通過する際、左右の安全を怠つて右交差点に進入した過失により、甲車を乙車に出合頭に衝突させ、本件事故を惹起した(民法七〇九条)。

(二) 被告会社は、本件事故当時甲車を保有し、社員である被告中澤に運転させて自己の運行の用に供していた(自賠法三条)。

(三)(1) 訴外昭治は、本件事故当時乙車を保有し、自己の運行の用に供していた(自賠法三条)。

(2) 訴外昭治は、昭和五〇年七月一九日死亡し、右訴外人の妻である被告秀子、子である被告達也、同眞理子、同由利子が法定相続分に応じて相続した。

3  (原告の傷害)

(一) 原告は、本件事故により、左側頭骨々折、両側頭部挫傷、脳挫傷、硬膜下水腫、左上腕骨、左大腿骨々折、右第三、第六肋骨々折、肺挫傷、上下歯欠損等の傷害を受け、その治療のため別表(一)記載のとおり入通院した。

(二) その結果、原告は、記銘力、記憶力を失い、左上下肢の用を廃し、二〇歯に歯科補綴を加える後遺障害を残したほか、頭部外傷の後遺症による精神障害のため、今後終生にわたつて一か月一ないし二回程度の通院を要することになつた。

4  (損害)

(一) 治療費 金八万四五九六円

右は被告らによつて支払われた以外の分である。

(二) 付添費 金三〇万三五〇〇円

内訳

入院付添費 二五〇〇円の七七日分(昭和五〇年一〇月三日まで付添を要した。)

通院付添費 一五〇〇円の七四日分

(三) 入院雑費 金一七万二五〇〇円

一日五〇〇円の三四五日分

(四) 通院交通費 金三二万八一二〇円

その内訳は別表(二)記載のとおり

(五) 休業損害 金二七九〇万三八二七円

原告は、本件事故当時満三七歳の健康な男子であり、千歳市において金融業を営み、少なくとも男子労働者の平均賃金以上の収入を得ていたところ、本件事故により、昭和五〇年七月一九日から昭和五七年一〇月末日まで全く稼働しえなかつたので、この間に得られたであろう収入のすべてを失つた。この間の休業損害は別表(三)記載のとおり金二七九〇万三八二七円である。

(六) 逸失利益 金六三二二万四七一三円

原告は、前記3(二)記載の後遺障害のため終生にわたり労働能力を一〇〇パーセント喪失した。これによる昭和五七年一一月一日から原告が六七歳に至るまでの二三年間の逸失利益を、昭和五六年度の賃金センサスの男子労働者の平均賃金(四〇歳から四四歳)を基礎として、中間利息をライプニツツ方式を用いて控除し計算すると、金六三二二万四七一三円になる。

(七) 慰藉料 金二九三〇万円

原告の前記入通院期間(3、(一))、後遺症の程度(3、(二))を加え、原告は将来とも常時家族の付添を要することに鑑みると、本件事故による原告の慰藉料は、入通院分として金四三〇万円、後遺症分として金二五〇〇万円、合計金二九三〇万円をもつてするのが相当である。

(八) 弁護士費用 金三〇〇万円

原告は、本件訴訟の追行を弁護士和田壬三に委任し、報酬として金三〇〇万円の支払を約した。

(九) 以上により原告の損害は合計金一億二四三一万七二五六円となるところ、原告は、被告会社から金三〇〇万円、自賠責保険から金二〇二万円の支払を受けているので残額は、金一億一九二九万七二五六円である。

5  (結論)

よつて原告は被告らに対し、右損害金残金一億一九二九万七二五六円と弁護士費用を除いた内金一億一六二九万七二五六円に対する昭和五〇年七月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める(但し、被告秀子については右金額の三分の一、被告達也、同眞理子、同由利子については右金額の各九分の二の支払を求めるものである。)。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の(二)、(三)の事実は認める。同2の(一)の事実中被告中澤が甲車を運転していたことは認めるが、その余は争う。

3  同3の(一)の事実は不知。同3の(二)の事実は否認する。原告は、昭和五二年七月ころから自動車の運転をしているし、同年八月には調理師試験を受験し合格している。また昭和五五年二月には猟銃所持の許可更新も受けている。これらのことからみれば、原告には、通常人の記銘力、精神活動能力があることは明らかである。

4  同4の損害についてはすべて争う。但し、同4の(八)のうち、原告が本件訴訟の追行を和田弁護士に委任したことは認める。

三  抗弁

1  (好意同乗)

原告は、千歳市から旭川市の射撃大会に行くため、訴外昭治の運転する乙車に無償で同乗して本件事故に遭つたものである。訴外昭治は本件事故により死亡し、被告秀子らが相続したものであるが、被告秀子らに対する請求は好意同乗により相当程度減額されるべきである。

2  (被害の回復)

(一) 被告会社は、治療費(金五九三万八五三二円)のほかに、原告に対し金四〇七万五一七四円を支払つた。

(二) 原告は、自賠責保険から金七八四万円を受領した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、本件事故に遭つたいきさつが被告ら主張のとおりであることは認める。

2  抗弁2の(一)のうち、原告が被告会社から金三〇〇万円の支払を受けたことは認めるが、その余は争う。同2の(二)の事実は認める。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりである。

理由

(責任の所在)

一  請求原因1の事実及び同2の(二)、(三)の事実はいずれも当事者間に争いがない。

右事実によれば、被告会社及び訴外昭治は、本件事故当時甲車、乙車をそれぞれ自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により本件事故によつて生じた原告の後記損害を賠償する責を負うものであるところ、訴外昭治の死亡により、妻である被告秀子、子である同達也、同眞理子、同由利子は法定相続分に応じて訴外昭治の債務を承継したことが認められる。

また本件事故が交通整理の行われていない交差点での出合頭の事故であることも当事者間に争いがないから、甲車を運転していた被告中澤には左右の確認を怠つて交差点に進入した過失があることは明らかであり(この点については何らの反証もない。)、同被告は、民法七〇九条により本件事故によつて生じた原告の後記損害を賠償する義務がある。

二  (原告の負傷の程度及び後遺障害)

1  成立に争いのない甲第一ないし第三二号証、証人浜島泉の証言によれば、原告(昭和一三年三月四日生)は、本件事故によつて脳裂傷、硬膜下水腫、両側頭部挫創、左上腕骨・左大腿骨・右第三、第六肋骨各骨折、全身打撲、上下歯欠損等の傷害を受け、本件事故発生の日である昭和五〇年七月一九日、栗山赤十字病院に収容されて入院治療を受け、同年七月二九日に市立札幌病院に転院し、以後昭和五一年三月二九日まで同病院に入院して整形外科と脳神経外科の治療を受けたこと、原告は、昭和五一年四月三日から同年六月一九日まで千歳第一病院に入院し、輸血後肝炎の治療を受け、その後カドマエ歯科医院に通院して、欠損歯の治療を受け、上下歯二〇歯に歯科補綴を加えたり、市立札幌病院等に入通院して治療を受けていたが、市立札幌病院において、整形外科的には昭和五二年三月二二日、脳神経外科的には昭和五三年一月二五日、それぞれ症状固定の後遺障害診断が下されたこと、その後も原告は現在に至るまで精神障害の治療のため市立札幌病院に月一ないし二回の割合で通院しているが、原告が本件事故のため昭和五四年二月一四日までに病院等で治療を受けた期間、実日数は別表(一)のとおりであること、以上の事実を認めることができ右認定に反する証拠はない。

2  前掲甲第一ないし第三号証、第六号証、成立に争いのない甲第四〇号証、証人橋口庸の証言により真正に成立したものと認められる甲第三八号証、証人浜島泉、同橋口庸、同高橋博政の各証言、鑑定人高橋博政の鑑定の結果を総合すると次の事実を認めることができる。

(一) 原告は、栗山赤十字病院入院当初、頭部外傷による意識障害が著明であつて、その後漸次意識障害は恢復に向つたが、昭和五〇年七月二九日に市立札幌病院に転院後もなお持続していた。同病院転院後原告の意識が混濁したため検査したところ硬膜下水腫があることが判明したため、同年八月五日、手術によつて右水腫は除去されたが、その後も軽度の意識障害は残り、右障害が消失したのは同年八月末から九月初めにかけてであつた。

(二) 他方、原告には市立札幌病院転院時において既に精神障害が発現していたが、次第にその程度が悪化し、粗暴言語、不穏状態、体動、反抗的言動、治療不協力、拒食などの高度の精神症状を呈するようになり、同病院脳神経外科の浜島泉医師は、昭和五〇年八月三〇日付でその旨診断している。

(三) 原告は、昭和五一年三月二九日まで市立札幌病院に入院し、整形外科と脳神経外科の両面にわたつて治療を受け、退院後も通院治療を受けていたが、同病院の整形外科医三国義博医師は、昭和五二年三月二二日、原告の整形外科的症状について、外傷に伴う左橈骨神経麻痺及び左腓骨神経麻痺は、個々の関節の自動運動範囲そのものはあまり制限なく可能なところまで恢復したが、左前腕手部の橈骨神経領域及び左下腿足部の腓骨神経領域に知覚鈍麻、異常知覚、筋力不全、硬結感が持続し、右は永続性とみなされる旨の後遺障害診断を下した。

(四) しかし、原告の脳神経外科的症状はその後もあまり改善されなかつたため、担当医である前記浜島医師は、昭和五二年五月、当時市立札幌病院の精神科医であつた橋口庸医師に原告の心理検査を依頼した。橋口医師は、右依頼に基づき、同月三一日、原告に対しWAIS知能検査、ベンダーゲシュタルトテスト、PFスタデオ検査、能研式記銘力検査を実施した。このときの検査結果によると、原告はWAIS知能検査において、IQ九八とほぼ平均値を示し、一般的知識や一般的理解を問われる問題では好成績を収めた反面、算数問題や、数唱問題、符号問題、絵画完成などで不良であり、記銘力検査においては特に成績が悪かつた。このため橋口医師は、その他の検査結果も総合して、原告は判断力、推理力は平均的に機能しているものの、情緒的耐性がストレス下で低下しており不安感情が反応にすぐ表出される傾向があり、記銘力の障害は顕著であつて、知的機敏性が失われていることから精神作業は困難であると判断し、その旨浜島医師に報告した。

(五) 原告は、昭和五二年一〇月、市立札幌病院の精神科に転科し、そのときの担当医は前記橋口医師であつた。同医師は原告に抗うつ剤や脳代謝改善剤を投与し、脳機の回復を図つたが、同医師が昭和五三年九月まで直接診察した限りでは、記銘力の低下は改善されず、むしろ自発性の欠如、集中力の欠如、活気のなさなどが強くなつていつた。

この間、浜島医師は、従来の診察結果や橋口医師の心理検査などを総合し、昭和五三年一月二五日付で、原告には嗅覚脱失、右軽度難聴があるほかに精神障害があり、記銘力、記憶力の障害が顕著であることや知的機敏性が失われていることなどから精神作業は不可能であり、自発性、集中力も欠如しているため定職に就くことは不可能である旨の後遺障害診断を下した。なお同医師は、その後もひき続き原告を診察しているが、原告の精神障害はその後も改善されておらず、将来も回復しないであろうと判断している。

(六) 市立札幌医院の精神科では、昭和五四年九月一一日にも浜島医師の依頼に基づき原告に心理検査を実施した(検査者向井ちひろ)。このときのWAIS知能検査の成績は昭和五二年五月の検査時よりも全般的に劣つていたが(IQ値七二)、一般的知識問題や単語問題など長期記憶や思考力を問われる問題では良好な成績を示し、算数問題、数唱問題、符合問題などで成績が悪いという傾向は前回と同じであつた。また記銘力検査の結果も悪く、これらのことから検査者は、原告に短期記憶力(記銘力)に障害があるものと推測している。

(七) 札幌医科大学神経精神科医師高橋博政は、本件鑑定のため、昭和五六年一一月二六日から昭和五七年三月五日まで原告を直接診察した。高橋医師は、この間、問診、触視診、行動観察のほかX線検査、頭部CTスキヤン(コンピユーター断層撮影)、脳波検査、心理検査などを実施した。その結果、高橋医師は、原告には現在、身体上は左片麻痺とそれによる左上下肢の関節拘縮、全身の筋強剛、左顔面神経麻痺、右側方注視麻痺、嗅覚脱失などの障害があり、精神上は社会的適応が極めて困難な程度の器質性性格変化(その内容は発動性減退、情動の不安定性、易恕性、被影響性の亢進、疾病の否認)と著しい記銘力の障害があり、このうち精神障害については将来とも回復する見通しは殆どなく、現在及び将来ともいかなる労務に就くことも不可能であると判断した。同医師が原告の精神障害について回復の可能性を否定したのは、原告には頭部CTスキヤンの所見上大脳縦裂と前頭部を主とした脳溝に拡大があり、前頭部を主とした大脳皮質に萎縮が認められること、脳波所見上でも全体的に不規則性が目立ち、徐波成分が多く明らかに異常を呈していると、一般的に神経組織の修復はなされないことなどに基づくものである。

3  以上の事実を総合すると、原告は、本件事故により約四〇日間の意識障害を伴う頭部外傷を負つて前頭部を主とした大脳皮質に萎縮を起こし、精神的には、著しい記銘力障害と強度の器質性性格変化という後遺障害を残し、身体的には、左片麻痺、嗅覚脱失、上下歯二〇歯の歯科補綴などの後遺障害があつて、いずれもその回復の見込みはないものと思料され、特に精神障害は終生労務に服することができない程度のものと認めるのが相当である。

4  もつとも成立に争いのない乙第七号証の一、二、第八号証の一ないし一四、第九号証の一、二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一号証並びに検証の結果によれば、原告は、(一)昭和三四年六月に自動車運転免許を取得しているが、本件事故後も更新手続を行つており、昭和五二年から昭和五三年にかけて少なくとも数回は自動車の運転をしていること、(二)昭和五二年八月には調理師試験に合格していること、(三)昭和五三年六月ころには自宅で大工仕事のようなことをしていること、(四)昭和五四年二月二〇日と昭和五五年二月一六日には従前許可を受けていた猟銃所持の許可更新手続を受けていること、(五)右許可更新手続の際には原告が精神病者ではない旨の医師の診断書(乙第八号証の八)を提出していることなどが認められるのであつて、これらのことは原告に精神障害があることを疑わせなくはない。

しかしながら前掲甲第四〇号証、証人浜島泉、同高橋博政の各証言、前記鑑定の結果によれば、原告は、事故前に蓄えられた一般的知識や経験は損われておらず、理解力は平均的にあることが認められるのであるから、本件事故後においても、自動車を運転する知識や大工道具を経験的に操作する能力、調理師試験の問題に答える能力、自動車運転免許の更新手続や猟銃所持の許可更新手続の際に係官の簡単な質問に答える能力(自動車運転免許の更新手続では実質的には視力検査だけであるし、証人尾角透の証言によれば、猟銃の許可更新手続でも二、三の簡単な質問がなされるのみであることが認められる。)はあるものと思料され、これらの知識、能力があることと前記3の判断とは何ら予盾しないものと考えられる。また乙第八号証の八については、証人三上章の証言によれば、原告の父である三上章は、原告の妻に頼まれて、原告に回復の希望を与えるため、原告の自動車運転免許や猟銃所持許可の更新手続を手伝つたが、乙第八号証の八の診断書については、原告と二人で知り合いの松嶋健一医師に書いて貰つたものであつて、同医師は、右診断書を発行するにあたつて何ら具体的に原告を診察しなかつたことが認められるのであつて、右によれば乙第八号証の八の診断書の記載をもつて前記判断を左右しないものというべきである。

原告の精神障害については、原告を直接診察した三名の専門医が殆ど同様の判断をしていること、原告の右障害は本件事故後まもなく発生していること、大脳皮質の萎縮、脳波所見の異常など客観的な資料があること、原告は一般的知識や経験を問われる心理検査上の問題には良好な成績を示していることなどからすれば、原告の精神障害が詐病であるとは到底考え難いのである。他に前記判断を左右するに足る証拠はない。

三  (原告の損害)

1  治療費

いずれも成立に争いのない甲第三五号証の一ないし五三、乙第一一号証の一ないし三一によれば、本件事故による原告の傷害(輸血後肝炎を含む)の治療のため、昭和五四年三月までに合計金五九四万四〇八五円(但し文書料を含む)を要し、内金九万〇五九六円を原告において支払い、その余は被告会社において支払つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  入通院付添費

成立に争いのない乙第一四号証の一ないし六によれば、原告は、昭和五〇年九月五日までの間付添看護人を雇い、合計金二〇万七四一四円を要し、これを被告会社において支払つたことが認められる。原告は、昭和五〇年一〇月三日まで入院付添を要した旨主張するが、これを認めるに足る証拠はない。

また証人岡田幸子の証言(第一回)によれば、妻の岡田幸子が毎回原告の通院に付添つたことが認められるところ、前記二で判断した原告の症状からみれば右付添はやむをえないものと思料されるので通院付添費として金一一万一〇〇〇円(一日一五〇〇円の七四日分)を認めるのが相当である。

3  入院雑費

前記二、1のとおり原告は合計三四五日入院しているが、この間の入院雑費としては一日五〇〇円が相当であるから、合計金一七万二五〇〇円をもつて入院雑費と認める。

4  通院交通費

証人岡田幸子の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第三四号証並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、通院のために別表(二)のとおり、合計金三二万八一二〇円を要したことが認められる。

5  休業損害、逸失利益

前記二で判断したところによると、原告は本件事故により終身労務に服することができなくなつたものであるから、本件事故時から六七歳に達するまでの三〇年間にわたり、得べかりし利益をすべて失つたものと認められる。

ところで本件事故当時原告がどの位の収入を得ていたかについては本件全証拠によるも判然としない。すなわち、証人岡田幸子の証言(第一回)によれば、原告は事故前千歳市内で金融業を営んでいたことが認められ、甲第三七号証には、原告が昭和四九年中、おおむね一か月九〇万円前後の収入があつた旨記載されているが、右については経費等が全く記載されておらず、不明である。他方成立に争いのない乙第一五号証によると、原告は、事故後警察官に対し、月に四〇〇万円位の金を動かし、年収は二〇〇万円位である旨供述しており、また成立に争いのない甲第三六号証によると、原告の昭和四九年度の課税の基礎となる所得は金一一六万三四五〇円と認定されていることが認められる。もつとも自営業者が自己の所得を少なめに申告することは遺憾ながらままあることであつて、前掲乙第一五号証、証人岡田の証言によれば、原告は、自家用自動車を保有し、クレー射撃の趣味を持つなど、少なくとも平均的な生活は送つていたことが認められるのであるから、到底前記申告所得額が真実の所得とは考えられず、また年収二〇〇万円位であるとの警察官に対する供述も真実であるとは認め難い。むしろ原告の生活状況から考えると、原告には少なくとも全男子労働者の平均収入程度の収入はあつたものと考えるのが相当である。

よつて原告の逸失利益を算定するにあたつては、賃金センサスの企業規模計、労歴計の全男子労働者の平均収入を用いることにするが、昭和五六年度の賃金センサスによれば、右金額は金三六三万三四〇〇円であり、これからライプニツツ方式を用いて中間利息を控除して三〇年間の現価を算出すると、次のとおり金五五八五万二六二四円となる。

3633400×15.372=55852624

6  慰藉料

前記二で認定した原告の入通院期間、傷害の部位、態様、後遺障害の程度など本件にあらわれた諸般の事情を勘案すると、本件事故によつて原告が受けた精神的苦痛を慰藉するには金一五〇〇万円をもつてするのが相当である。

7  弁護士費用

原告が本件訴訟の追行を原告代理人に委任したことは当事者間に争いがなく、本件事案の難易、訴額、認容額等に照らせば、本件事故の損害としての弁護士費用は金三〇〇万円が相当である。

8  以上によれば、本件事故によつて受けた原告の損害は、既に被告らによつて支払れているものも含めて合計金八〇六一万五七四三円となる。

四  (好意同乗による減額)

原告は訴外昭治の運転する乙車に無償で同乗中本件事故にあつたものであることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一五、第一六号証によると、原告と訴外昭治は、ともに千歳市内に住み、射撃を趣味としていたことから昭和四二年ころ知り合い、以後家族ぐるみの親しい交際を続けてきたこと、昭和五〇年七月二〇日旭川市内においてクレー射撃の北海道選手権大会があり、原告と訴外昭治は右大会に参加することになつたが、当時原告は多忙であつて疲労していたことから訴外昭治が自動車を運転することになり、同年七月一九日午後二時ころ、訴外昭治は乙車を運転して原告宅へ迎えに行き、原告を助手席に乗せて旭川へ向つたこと、原告は乙車に乗るとまもなく眠つてしまい、眠つたままの状態で本件事故に遭つたが、訴外昭治は右事故で死亡したこと、以上の事実を認めることができる。

右によれば、原告は訴外昭治の好意により無償で乙車に同乗したものであつて、乙車の運行は原告自身のためでもあつたことが認められ、訴外昭治自身も本件事故で死亡していることなど諸般の事情を考慮すると、原告の損害賠償請求は、訴外昭治の相続人である被告秀子、同達也、同眞理子、同由利子に対する関係で三割を減額するのが相当である。したがつて同被告らに請求しうべき損害額は合計五六四三万一〇二〇円となる。

五  (被害の回復)

1  原告が甲、乙両車の自賠責保険から金七八四万円を受領していることは当事者間に争いがない。

2  被告会社が治療費として金五八五万三四八九円、入院付添費として金二〇万七四一四円の合計金六〇六万〇九〇三円を支払つていることは前記三で認定したとおりである。

3  成立に争いのない乙第二号証の一ないし二二、第一二号証、第一三号証の一、二によれば、被告会社は原告に対し、休業補償等として合計金三八六万七七六〇円を支払つていることが認められる。

六  (結論)

以上によれば、被告会社及び被告中澤は、原告の損害額金八〇六一万五七四三円から五の1ないし3の合計金一七七六万八六六三円を控除した残金六二八四万七〇八〇円と内弁護士費用を除いた金五九八四万七〇八〇円に対する昭和五〇年七月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、被告秀子は前記四の金額(好意同乗による減額後のもの)から前記四の合計金額を控除した金三八六六万二三五七円の三分の一(法定相続分)である金一二八八万七四五二円と内金一一八八万七四五二円(弁護士費用の三分の一を控除した金額)に対する昭和五〇年七月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、被告達也、同眞理子、同由利子はそれぞれ、右金三八六六万二三五七円の九分の二(法定相続分)である金八五九万一六三四円と内金七九二万四九六七円(弁護士費用の九分の二を控除した金額)に対する昭和五〇年七月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、それぞれ原告に対して支払うべき義務がある。

よつて、原告の本訴請求は被告らに対し右金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大橋弘)

別表 (一)

<省略>

別表(二) 通院交通費内訳

<省略>

別表(三)

<省略>

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